第2編 職務発明規程を置かないことのリスク

 第1編の表に挙げたような、対価の差額を求める数々の訴訟が提起されるなか、こうした訴訟のリスクを低減するため平成16年に特許法第35条に第4項を追加する改正がなされました。


 特許法第35条は、第3項において特許を受ける権利等を社員から会社が承継したとき、その社員は会社から「相当の対価の支払を受ける権利(以下「対価請求権」)を有する」ことを規定しています。また、平成16年の改正により旧第4項から繰り下がった第5項においては、その対価の額を、会社の利益、負担等を考慮して決めるべきことを規定しています。従って、中村修二教授をはじめとする各発明者が裁判により対価の差額を勝ち取ったのは、会社が当初査定した対価額に対し、裁判所が会社の利益、負担等を考慮した結果、もっと大きな額の対価が支払われるべきと判断したためであります。

 さて、平成16年改正により追加された第4項とは何を規定しているのでしょうか。改正による第4項は、職務発明規程をはじめとする「契約、勤務規則その他の定め」(以下「職務発明規程等」)が一定の要件を満たしたものであれば、上で述べたような、裁判所による対価額の判断を待つことなく、職務発明規程等の定めに従った対価を支払えばそれでよい、と規定しています。このような場合分けをフロー図に表すと以下の通りです。

 









 上で述べた第4項に規定する一定の要件とは、会社・社員間の協議の状況や、開示の状況、意見の聴取の状況等を考慮して、対価の支払いが不合理ではないことです。この第4項の要件を満たさないとき、社員は、受取った対価額を不服として、その対価が第5項の要件を満たすかどうかの判断を裁判所に仰ぐことができます。従って、平成16年改正後の現行法の下で、適正に協議・開示・聴取等の手続を経て職務発明規程が制定されたのであれば、会社は、粛々とその職務発明規程の定めに従って支払えばよいのであり、訴訟のリスクは低いものとなります。

 それでは、今般の改正提案により、上で述べた特許法第35条第3項、第4項及び第5項はどのようなものになるでしょうか。委員会における発言から、変更後の規定に関わるものを拾い集めて下記の表にまとめてみました。

 












 先ず、特許を受ける権利が発明時から会社に帰属するため、「承継」が起きることはなく、従ってそもそも「対価」の概念が生じません。代わりに「インセンティブ」を社員に付与することとなり、そのインセンティブ施策は、特許庁の策定する「ガイドライン」に従って、会社・社員間で調整されることが求められます。そして、制度変更後においても、職務発明規程を置かない、あるいは職務発明規程を置いていても、そこに定められているインセンティブがガイドラインに従って調整されたものではないとき、現行法の第5項に相当する規定(委員会では「5項的規定」)が適用されるように発言されていました。現行法の第4項がガイドラインに置き換わるような構成と言えそうです。

 このような場合分けをフロー図に表すと以下の通りです。

 










 従って、いくら訴訟リスク低減のための法改正が行われても、職務発明規程を置かない、あるいは置いていても特許法やガイドラインの要件を満たしていないのであれば、その会社の負うリスクは平成16年改正以前のものと変わりがありません。